大会のあゆみ

2017年

「第17回 大阪国際車いすテニストーナメント」を開催
・選手        80名参加
・ジュニアレッスン  10名参加
・ボランティア  約160名参加

2016年

「第16回 大阪国際車いすテニストーナメント」を開催
・選手        88名参加
・ジュニアレッスン  13名参加
・ボランティア  約150名参加

2015年

「第15回 大阪国際車いすテニストーナメント」を「大阪市」共催で開催
・選手        62名参加
・ジュニアレッスン  17名参加
・ボランティア  約150名参加

2014年

「第14回 大阪国際車いすテニストーナメント」を「大阪市」共催で開催
・選手        95名参加
・ジュニアレッスン  14名参加
・ボランティア  約210名参加

2013年

「第13回 大阪国際車いすテニストーナメント」を「大阪市」共催で開催
・選手        81名参加
・ジュニアレッスン  18名参加
・ボランティア  約230名参加

2012年

「第12回 大阪国際車いすテニストーナメント」を「大阪市」共催で開催
・選手        76名参加
・ジュニアレッスン  22名参加
・ボランティア  約250名参加

2011年

「第11回 大阪国際車いすテニストーナメント」を「大阪市」共催で開催
大会グレード ITF3  台湾・韓国・中国の各国より参加
・選手       110名参加
・ジュニアレッスン  10名参加
・ボランティア   約80名参加
大会期間中 延べ約450名参加

2010年

「第10回 大阪国際車いすテニストーナメント」を「大阪市」共催で開催
国際テニス連盟(ITF)より実績が認められ、10年目にして、大会のグレードがITF3シリーズへ昇格する。
オーストラリア・韓国・マレーシア・チリの各国より参加
・選手       102名参加
・ジュニアレッスン  10名参加
・ボランティア  約100名参加
大会期間中 延べ約600名参加

2009年

「第9回 大阪国際車いすテニストーナメント」を「大阪市」共催で開催
・選手      約110名参加
・ジュニアレッスン 約30名参加
・ニューミックス   約8組参加
・ボランティア  約100名参加
大会期間中 延べ約600名参加

2008年

「第8回 大阪国際車いすテニストーナメント」を「大阪市」共催で開催
国際大会として、より充実した大会を目指し、大会会長として「大阪府テニス協会会長」佐藤氏を迎える。
・選手      約110名参加
・ジュニアレッスン 約30名参加
・ニューミックス   約8組参加
・ボランティア  約100名参加
大会期間中 延べ約600名参加

2007年

「第7回 大阪国際車いすテニストーナメント」を「大阪市」共催で開催
・選手      約110名参加
・ジュニアレッスン 約45名参加
・ニューミックス  約16組参加
・ボランティア   約50名参加
大会期間中 延べ約400名参加

2006年

「第6回 大阪国際車いすテニストーナメント」を「大阪市」共催で開催
・選手      約120名参加
・ジュニアレッスン 約50名参加
・ニューミックス  約15組参加
・ボランティア   約50名参加

2005年

「第5回 大阪国際車いすテニストーナメント」を「大阪市」共催で開催
新たに、「ニューミックスの部」を追加
・選手      約130名参加(うち中国人選手2名)
・ジュニアレッスン 約50名参加
・ニューミックス  約15組参加
・ボランティア   約50名参加

2004年

「第4回 大阪国際車いすテニストーナメント」開催
日本のトーナメントでは初となる「車いすテニスジュニアレッスン」を同時開催
・ジュニアレッスン 約40名参加
・選手      約150名参加
・ボランティア   約80名参加

2003年

「第3回 大阪国際車いすテニストーナメント」を開催
・選手     約130名参加
・ボランティア  約60名参加

2002年

「第2回 大阪国際車いすテニストーナメント」開催
・選手     約120名参加
・ボランティア  約50名参加

2001年

「関西オープン」を「大阪国際車いすテニストーナメント」へ改称
「大阪車いすテニス協会」主催で開催
会場を大阪市うつぼテニスセンターに移し開催
・選手     約100名参加
・ボランティア  約50名参加

1994年

「近畿選手権」を国際大会にし、名称を「関西オープン」に改める
国内を始め、海外の選手に参加の機会を与える
協力:笹川スポーツ財団(SSFスポーツエイド)

1991年

日本車いすテニス協会(JWTA)を発足
関西車いすテニス協会(KWTA)を発足
大阪車いすテニス協会(OWTA)を発足
組織を明確化し、日本テニス協会(JTA)との協力体制を図る

1989年

関西車いすテニスプレーヤーズ協会を発足
障害者の社会参加と自立を喚起することを目的とする
大阪府寝屋川市において「近畿選手権」(大阪国際車いすテニストーナメントの前身)を開催
協力:北大阪テニス協会

1988年

関西初の車いすテニス大会「朝日カップ・ニューミックステニストーナメントを開催
主催:朝日新聞厚生文化事業団 参加選手14名
国際車いすテニス連盟創設に参加
日本はアジアにおいてのリーダーシップをとる

1987年

大阪車いすテニスクラブを発足
部員数12名
日本車いすテニスプレーヤーズ協会を発足
車いすテニスの普及を目的とする
大阪(堺市:泉が丘テニスクラブ)にて関西初の車いすテニスレッスンを開催
協力:朝日放送、木曜会テニスプロジェクト

1985年

福岡県飯塚市にて国内初の国際車いすテニス大会が開催される
国内選手 約60名、海外選手 約20名が参加

1984年

神奈川県厚木市にて国内初の車いすテニス大会が開催される
国内選手 約20名が参加

1982年

神奈川・大阪・福岡でアメリカで行われていた車いすテニスが紹介される。

1976年

スキー事故により車いす生活を送ることになったブラック・パークス(米)は、事故から半年後、スポーツ選手兼レクリエーション療法士であったJミネンブレーカーと共に車いすテニスの普及活動を始める。